考古検索結果

検索結果 8290 件のうち、6751 件目から 6775 件目を表示しています。

資料番号4C010354
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ2.2×幅1×厚さ0.5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
アスファルト付着。
資料番号4C010355
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ2.5×幅0.9×厚さ0.3
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
アスファルト付着。
資料番号4C010356
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長2.0×幅1.2×厚さ0.3
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
基部欠損。 アスファルト付着。
資料番号4C010357
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ2.9×幅0.5×厚さ0.3
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
アスファルト付着。
資料番号4C010358
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ3.1×幅1.3×厚さ0.5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
アスファルト付着。
資料番号4A010359
資料名深鉢
資料名よみふかばち
コレクション名
法量 {cm}口径30.5×高さ39×底径15.5
種類土器
遺跡名横内遺跡
遺跡所在地尾花沢市横内
時代縄文時代後期
年代約4000~3000年前
資料説明 昭和47年(1972)、山形県立博物館が横内遺跡にて発掘調査を行う。
胎土が黒褐色を呈する縄文土器の深鉢。 
 小波状の口縁部をもつ。 
 底部に網代痕がある。 
 
資料番号4A010360
資料名深鉢
資料名よみふかばち
コレクション名
法量 {cm}口径26(推定)
種類土器
遺跡名横内遺跡
遺跡所在地尾花沢市横内
時代縄文時代中・後期
年代
資料説明 横内遺跡にて採取された。
胎土が暗褐色を呈する縄文土器の深鉢。 
 外面無文で、内面に縄文が施される。
 口縁部~体部残存。
資料番号4A010361
資料名
資料名よみはち
コレクション名
法量 {cm}口径11(推定)×高さ7.2×底径4.2
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が暗褐色を呈する縄文土器の鉢。
 口唇部にキザミがあり、平行沈線間に珠状文がみられる。
 
資料番号4A010362
資料名浅鉢
資料名よみあさばち
コレクション名
法量 {cm}口径20(推定)
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が黒褐色を呈する縄文土器の浅鉢。
 口唇部にキザミがあり、体部に雲形文がある。
 口縁部~体部残存。
資料番号4A010363
資料名
資料名よみつぼ
コレクション名
法量 {cm}残存高9.5×底径5.2
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が黒褐色を呈する縄文土器の壺。
 体部に長方形を組み合わせた文様あり。
 体部~底部。
資料番号4A010364
資料名
資料名よみはち
コレクション名
法量 {cm}口径12(推定)×高さ16.7×底径5.2
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が黒褐色を呈する縄文土器の鉢。被熱。
 口縁部が屈曲する。
 
資料番号4A010365
資料名
資料名よみはち
コレクション名
法量 {cm}口径14.2×高さ15×底径5.2
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が黒褐色を呈する縄文土器の鉢。被熱。
 口縁部が屈曲する。頸部に縦線が並ぶ。
 
資料番号4A010366
資料名浅鉢
資料名よみあさばち
コレクション名
法量 {cm}口径20.7×高さ6.3×底径7.2
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が暗褐色を呈する縄文土器の浅鉢。
 体部中位に弧状の文様がはいる。
 
資料番号4A010367
資料名
資料名よみはち
コレクション名
法量 {cm}口径15(推定)
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が暗褐色を呈する縄文土器の鉢。
口唇部にキザミがはいり、口縁部が屈曲する。
 口縁部~体部残存。
 
資料番号4A010368
資料名
資料名よみはち
コレクション名
法量 {cm}口径15(推定)
種類土器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が暗褐色を呈する縄文土器の鉢。
口縁部が小波状。頸部に縦線が並ぶ。
 口縁部~体部残存。
 
資料番号4A010369
資料名浅鉢
資料名よみあさばち
コレクション名
法量 {cm}口径18(推定)
種類土器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 胎土が黒褐色を呈する縄文土器の浅鉢。
 口唇部に三角形の突起があり、体部に楕円形の文様がめぐる。
 口縁部~体部残存。
資料番号4C010370
資料名石錐
資料名よみいしきり
コレクション名
法量 {cm}長さ5×幅1.6×厚さ0.5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 石錐とは、剥片の一部を鋭く尖らせて錐状の刃を作りだした石器のことをさす。
 棒状。
資料番号4C010371
資料名石槍
資料名よみいしやり
コレクション名
法量 {cm}長さ4.7×幅2.2×厚さ0.6
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 石槍は剥片や礫石から作り出した槍の穂先上の石器で、多くが木葉形ないしは柳葉形に仕上げられている。
 小型のもの。
資料番号4C010372
資料名凹石
資料名よみくぼみいし
コレクション名
法量 {cm}残存長7.3×幅6.7×厚さ5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 くぼみ石とは中央付近にくぼみのある石で、クルミ割りなどの道具として利用された。
 半存。
資料番号4C010373
資料名凹石
資料名よみくぼみいし
コレクション名
法量 {cm}残存長9.5×幅4×厚さ3.5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 くぼみ石とは中央付近にくぼみのある石で、クルミ割りなどの道具として利用された。
 一部欠損。
資料番号4C010374
資料名掻器
資料名よみそうき
コレクション名
法量 {cm}長さ6×幅9×厚さ1.6
種類石器
遺跡名大立洞穴
遺跡所在地高畠町高畠字大立山
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和50年(1975)、県立博物館が大立洞穴にて発掘調査を行う。
 掻器とは、剥片の先端を加工し、鈍い部厚な刃を作り出した石器のことであり、狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
 三角状。
資料番号4C010375
資料名掻器
資料名よみそうき
コレクション名
法量 {cm}長さ5×幅2.5×厚さ0.6
種類石器
遺跡名大立洞穴
遺跡所在地高畠町高畠字大立山
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和50年(1975)、県立博物館が大立洞穴にて発掘調査を行う。
 掻器とは、剥片の先端を加工し、鈍い部厚な刃を作り出した石器のことであり、狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
資料番号4C010376
資料名石匙
資料名よみいしさじ
コレクション名
法量 {cm}残存長3.2×幅2.2×厚さ0.3
種類石器
遺跡名大立洞穴
遺跡所在地高畠町高畠字大立山
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和50年(1975)、県立博物館が大立洞穴にて発掘調査を行う。
 石匙は削器(側縁に部厚な刃を作り出した石器)のうち紐かけ用のつまみを作り出したものをいう。
 狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
 ノッチ部分のみ。
資料番号4C010377
資料名石鏃?
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.5×幅1.5×厚さ0.2
種類石器
遺跡名大立洞穴
遺跡所在地高畠町高畠字大立山
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和50年(1975)、県立博物館が大立洞穴にて発掘調査を行う。
石鏃または石槍の先端部と思われる。
資料番号4C010378
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ2×幅1.5×厚さ0.6
種類石器
遺跡名大立洞穴
遺跡所在地高畠町高畠字大立山
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和47年(1972)に採取。
鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
 無茎。
第6次公開校正用