考古検索結果

検索結果 8290 件のうち、6826 件目から 6850 件目を表示しています。

資料番号4C010429
資料名石匙
資料名よみいしさじ
コレクション名
法量 {cm}残存長2.8×幅4.2×厚さ0.6
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 石匙は削器(側縁に部厚な刃を作り出した石器)のうち紐かけ用のつまみを作り出したものをいう。
 狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
 刃部欠損。
資料番号4C010430
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.7×幅1.2×厚さ0.3
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
基部欠損。
資料番号4C010431
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ3.2×幅1.7×厚さ0.4
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。
資料番号4C010432
資料名石錐
資料名よみいしきり
コレクション名
法量 {cm}長さ2.6×幅0.9×厚さ0.3
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 石錐とは、剥片の一部を鋭く尖らせて錐状の刃を作りだした石器のことをさす。
 
資料番号4C010433
資料名石のみ
資料名よみいしのみ
コレクション名
法量 {cm}長さ4.6×幅1.3×厚さ0.4
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 石のみとは磨製石器の一種で、のみ形石斧とも。鉄製ののみに似た形状からつけられた名称だが、手斧の一種とみられている。
 
資料番号4C010434
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ2.5×幅1.6×厚さ0.3
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
無茎。
資料番号4C010435
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長4×幅1.5×厚さ0.7
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。
資料番号4C010436
資料名石匙
資料名よみいしさじ
コレクション名
法量 {cm}残存長2.7×幅2.2×厚さ0.4
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 石匙は削器(側縁に部厚な刃を作り出した石器)のうち紐かけ用のつまみを作り出したものをいう。
 狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
 刃部欠損。
資料番号4C010437
資料名掻器
資料名よみそうき
コレクション名
法量 {cm}長さ1.9×幅3.6×厚さ0.6
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 掻器とは、剥片の先端を加工し、鈍い部厚な刃を作り出した石器のことであり、狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
 
資料番号4C010438
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ3.5×幅1.6×厚さ0.4
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。
資料番号4C010439
資料名掻器
資料名よみそうき
コレクション名
法量 {cm}長さ3.7×幅2.8×厚さ0.4
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 掻器とは、剥片の先端を加工し、鈍い部厚な刃を作り出した石器のことであり、狩猟具ではなくかき削る機能を持っていると考えられる。
 
資料番号4C010440
資料名剥片(二次加工)
資料名よみはくへん(にじかこう)
コレクション名
法量 {cm}
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 剥片とは、原石から打ちだした石器の素材となる石片や、石器を加工するさいに出た石片のことをさす。
 二次加工のある剥片を一括した。
資料番号4C010441
資料名石錐
資料名よみいしきり
コレクション名
法量 {cm}残存長3.5×幅1.5×厚さ0.6
種類石器
遺跡名原の内A(鶴子)遺跡
遺跡所在地尾花沢市鶴子原の内
時代縄文時代
年代
資料説明 山形県立博物館が原の内A(鶴子)遺跡にて発掘調査を行う。
 石錐とは、剥片の一部を鋭く尖らせて錐状の刃を作りだした石器のことをさす。
 先端部欠損。
資料番号4D010442
資料名石棺部材
資料名よみせっかんぶざい
コレクション名
法量 {cm}長さ35cm×幅51.5cm×厚さ10.5cm
種類石製品
遺跡名狐山10号墳
遺跡所在地山形市七浦
時代古墳時代後期
年代
資料説明 昭和35年以降の圃場整備作業中、10基に余る石棺が発見された。墳丘の明らかなものがなく、大部分は板状の石英安山岩を用いた箱式石棺である。副葬品はないが、営造年代は後期古墳Ⅲ期としてよいであろう。(『山形市史上巻 P327)
資料番号4B010443
資料名土偶
資料名よみどぐう
コレクション名
法量 {cm}残存長5×幅3.2×厚さ2.5
種類土製品
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代晩期
年代約3000~2300年前
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 土偶は人体の形を表現した縄文時代の土製品で、女性を形象化したものと考えられるが、性別に関係なく神象であるとの説、安山祈願や身代わりとしての呪具、地母神像であるとも考えられている。
脚部のみ残存。
資料番号4C010444
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長2.6×幅1.6×厚さ0.4
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
基部欠損。 アスファルト付着。
資料番号4C010445
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}長さ1.6×幅0.9×厚さ0.6
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。
資料番号4C010446
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.9×幅1.2×厚さ0.6
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。基部欠損。
資料番号4C010447
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長2.1×幅0.8×厚さ0.5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
基部欠損。
資料番号4C010448
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.7×幅1.1×厚さ0.4
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
基部欠損。
資料番号4C010449
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.3×幅0.8×厚さ0.3
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
基部欠損。
資料番号4C010450
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.6×幅1×厚さ0.4
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。
資料番号4C010451
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.9×幅1×厚さ0.5
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。
資料番号4C010452
資料名石鏃
資料名よみせきぞく
コレクション名
法量 {cm}残存長1.8×幅1×厚さ0.4
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 鏃とは矢の先端に装着して獲物に突き刺すための道具として使用されていたもので、狩猟だけではなく戦闘用の武器としても発達した。
 矢尻ともいうが、俗称・古称である。
 木や金属に対する貫通力・強度は鉄鏃よりも劣るが、使用実験によると動物の肉・皮に対しては鉄鏃よりも優れているという。
有茎。基部欠損。
資料番号4C010453
資料名石錐
資料名よみいしきり
コレクション名
法量 {cm}長さ3.3×幅0.7×厚さ0.3
種類石器
遺跡名数馬遺跡
遺跡所在地飯豊町数馬字大下台
時代縄文時代
年代
資料説明 昭和48年(1973)、数馬遺跡にて発掘調査を行う。
 石錐とは、剥片の一部を鋭く尖らせて錐状の刃を作りだした石器のことをさす。
 棒状。
第6次公開校正用