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資料番号 | 6H004032 |
資料名 | 今戸人形(娘) |
資料名よみ | いまどにんぎょう むすめ |
法量 {cm} | 高さ 6.5 幅 3.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 娘を模して作られた土人形。今戸人形…東京都台東区浅草今戸で生産されている人形。 |
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資料番号 | 6H004033 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 16.5 幅 10.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004034 |
資料名 | 八橋人形(軍人) |
資料名よみ | やばせにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 12.5 幅 6.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004035 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 17.0 幅 11.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004036 |
資料名 | 下小菅人形(軍人) |
資料名よみ | しもこすげにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 19.5 幅 12.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004037 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 19.5 幅 7.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004038 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 16.0 幅 9.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 成島人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004039 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 19.0 幅 16.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004040 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 12.5 幅 9.2 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 成島人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004041 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 17.5 幅 6.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004042 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 21.5 幅 10.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004043 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 22.0 幅 10.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004044 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 12.0 幅 5.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004045 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 12.0 幅 6.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004046 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 12.0 幅 6.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004047 |
資料名 | 下小菅人形(軍人) |
資料名よみ | しもこすげにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 11.5 幅 4.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004048 |
資料名 | 下小菅人形(軍人) |
資料名よみ | しもこすげにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 13.5 幅 6.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004049 |
資料名 | 相良人形(軍人) |
資料名よみ | さがらにんぎょう ぐんじん |
法量 {cm} | 高さ 21.0 幅 9.0 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形との見方もある。日清・日露戦争を背景にして作られた。四代目の製作だと思われる。日清戦争・・・1894~95年。日本と清国(現在の中国)が朝鮮の支配権を争った。 日露戦争・・・1904~05年。日本とロシアが朝鮮・満州(現在の中国東北部)の支配権を争った。 相良人形・・・東北三大土人形のひとつとされる。成島焼を完成させた相良清左衛門厚忠が創始者で米沢の子供たちのために安価な土人形をとの思いで作られた。以後七代に渡って作り続けられている。 |
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資料番号 | 6H004050 |
資料名 | 下小菅人形(姉弟) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう してい |
法量 {cm} | 高さ 11.5 幅 6.9 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004051 |
資料名 | 下小菅人形(姉妹) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう しまい |
法量 {cm} | 高さ 12.7 幅 7.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004052 |
資料名 | 下小菅人形(自来也) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう じらいや |
法量 {cm} | 高さ 15.8 幅 10.5 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 自来也を模した。自来也・・・歌舞伎などに現れるガマの妖術を使う神出鬼没の怪盗。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004053 |
資料名 | 下小菅人形(菓物籠娘) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう くだものかごむすめ |
法量 {cm} | 高さ 12.1 幅 5.6 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004054 |
資料名 | 下小菅人形(駒持ち子) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう こまもちこ |
法量 {cm} | 高さ 10.3 幅 7.3 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 駒は健康長寿、末広がりの意味をもつ。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004055 |
資料名 | 下小菅人形(駒持ち子) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう こまもちこ |
法量 {cm} | 高さ 10.3 幅 7.3 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 駒は健康長寿、末広がりの意味をもつ。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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資料番号 | 6H004056 |
資料名 | 下小菅人形(花持ち娘) |
資料名よみ | しもしもこすげにんぎょう はなもちむすめ |
法量 {cm} | 高さ 7.9 幅 4.9 |
コレクション名 | 梅津宮雄コレクション |
年代 和暦 | |
年代 西暦 | |
資料説明 | 才色兼備の娘に育つようにとの願いがこめられている。 下小菅人形・・・明治末頃から大正にかけて瓦焼師の小山田亀蔵によって製作された土人形。相良人形から型どりをしたもので、全体的に小型のものが多い。紫がかった黒色と濃い赤の彩色が目立つ。全体的に荒く造作られている。 |
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