民俗検索結果

検索結果 11422 件のうち、751 件目から 775 件目を表示しています。

資料番号6A000841
資料名
資料名よみはち
法量 {cm}高さ 10.5 径 39.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明木製漆塗りの鉢。
資料番号6A000842
資料名
資料名よみはち
法量 {cm}高さ 8.5 径 31.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明木製漆塗りの鉢。
資料番号6A000843
資料名卵焼き器
資料名よみたまごやきき
法量 {cm}縦 13.2 横 19.0 高さ 20.0 長さ 34.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明卵焼きを作るための調理器具。
資料番号6A000844
資料名
資料名よみはち
法量 {cm}高さ 24.0 径 39.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明皿よりも深みのある食器。平清水焼・・・山形市平清水で文化年間(1804~1818)ごろから焼かれている焼物。陶器がもともと焼かれていたが、1844(弘化4)年に宮城県の切込焼の職人が招かれ、磁器が焼かれたといわれている。釉薬には白色、飴色が多い。
資料番号6A000845
資料名こね鉢
資料名よみこねばち
法量 {cm}高さ 17.5 径 32.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明団子などを作るときに粉に水分を加えて粘り気をだすためにこねる。このときに用いる鉢。平清水焼・・・山形市平清水で文化年間(1804~1818)ごろから焼かれている焼物。陶器がもともと焼かれていたが、1844(弘化4)年に宮城県の切込焼の職人が招かれ、磁器が焼かれたといわれている。釉薬には白色、飴色が多い。
資料番号6A000846
資料名こね鉢
資料名よみこねばち
法量 {cm}高さ 16.5 径 32.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明団子などを作るときに粉に水分を加えて粘り気をだすためにこねる。このときに用いる鉢。成島焼・・・米沢市成島町で焼かれた焼物。上杉藩相良清左衛門が、1778(安永7)年に藩命を受けて築窯した。藩財政を潤すほどに発展したが、1935(昭和10)年頃廃窯となった。
資料番号6A000847
資料名
資料名よみはち
法量 {cm}高さ 20.0 径 38.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明皿よりも深みのある食器。成島焼・・・米沢市成島町で焼かれた焼物。上杉藩相良清左衛門が、1778(安永7)年に藩命を受けて築窯した。藩財政を潤すほどに発展したが、1935(昭和10)年頃廃窯となった。
資料番号6A000848
資料名こね鉢
資料名よみこねばち
法量 {cm}高さ 19.4 径 37.5
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明団子などを作るときに粉に水分を加えて粘り気をだすためにこねる。このときに用いる鉢。平清水焼・・・山形市平清水で文化年間(1804~1818)ごろから焼かれている焼物。陶器がもともと焼かれていたが、1844(弘化4)年に宮城県の切込焼の職人が招かれ、磁器が焼かれたといわれている。釉薬には白色、飴色が多い。
資料番号6A000849
資料名大鉢
資料名よみおおばち
法量 {cm}高さ 21.5 径 43.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明皿より深い、上部のひらいた食器。料理を盛るためなどに用いられる。白岩焼・・・秋田県仙北市角館町白岩地区で焼かれた焼物。江戸中期から明治中期にかけて作られた。幕末に藩の統制が緩やかになると、民間に製陶業が広まった。「イ窯」、「ロ窯」、「ハ窯」と呼ばれる窯が1900(明治33)年の「ヘ窯」の閉窯まで続いた。
資料番号6A000850
資料名大鉢
資料名よみおおばち
法量 {cm}高さ 22.0 径 41.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明皿より深い、上部のひらいた食器。料理を盛るためなどに用いられる。東山焼・・・新庄市金沢字東山の涌井弥瓶窯で焼かれた焼物。1843(天保13)年、初代弥瓶により始められた。釉薬は青色のなまこ釉のものが多い。
資料番号6A000851
資料名大鉢(白釉)
資料名よみおおばち はくゆう
法量 {cm}高さ 20.0 径 36.3
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明白い釉薬の皿より深い、上部のひらいた食器。料理を盛るためなどに用いられる。平清水焼・・・山形市平清水で文化年間(1804~1818)ごろから焼かれている焼物。陶器がもともと焼かれていたが、1844(弘化4)年に宮城県の切込焼の職人が招かれ、磁器が焼かれたといわれている。釉薬には白色、飴色が多い。
資料番号6A000852
資料名すり鉢
資料名よみすりばち
法量 {cm}高さ 16.5 径 32.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明味噌やゴマをする際に用いる鉢。十王焼・・・白鷹町十王で焼かれた焼物。1809(文化6)年に源蔵という人物が藩に願い出て、文政年間(1818~1830年)に松本林蔵が製陶したのが始まりとされている。その後、柴田文五郎が受け継ぎ長年維持されてきたが、戦後間もなく途絶えてしまった。成島焼に色・形が類似している点が特徴である。
資料番号6A000853
資料名すり鉢
資料名よみすりばち
法量 {cm}高さ 9.4 径 16.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明味噌やゴマをする際に用いる鉢。小菅焼・・・米沢市広幡町上小菅で、1870(明治3)~1935(昭和10年)まで焼かれた焼物。主に日用陶器が焼かれていた。
資料番号6A000854
資料名すり鉢
資料名よみすりばち
法量 {cm}高さ 21.4 径 38.2
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明味噌やゴマをする際に用いる鉢。小菅焼・・・米沢市広幡町上小菅で、1870(明治3)~1935(昭和10年)まで焼かれた焼物。主に日用陶器が焼かれていた。
資料番号6A000855
資料名すり鉢
資料名よみすりばち
法量 {cm}高さ 11.0 径 21.5
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明味噌やゴマをする際に用いる鉢。小菅焼・・・米沢市広幡町上小菅で、1870(明治3)~1935(昭和10年)まで焼かれた焼物。主に日用陶器が焼かれていた。
資料番号6A000856
資料名すり鉢
資料名よみすりばち
法量 {cm}高さ 17.0 径 43.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明味噌やゴマをする際に用いる鉢。猪野沢焼・・・東根市猪野沢で焼かれた焼物。1804(文化元)~1818(文政元)年に、仙台の堤で修行した土赤五郎吉・喜右衛門らにより始まった。小山田理兵衛を窯主として1910(明治43)年頃まで続いた。
資料番号6A000857
資料名
資料名よみはち
法量 {cm}高さ 20.0 径 36.3
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明皿よりも深みのある食器。平清水焼・・・山形市平清水で文化年間(1804~1818)ごろから焼かれている焼物。陶器がもともと焼かれていたが、1844(弘化4)年に宮城県の切込焼の職人が招かれ、磁器が焼かれたといわれている。釉薬には白色、飴色が多い。
資料番号6A000858
資料名こね鉢
資料名よみこねばち
法量 {cm}高さ 19.0 径 37.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明団子などを作るときに粉に水分を加えて粘り気をだすためにこねる。このときに用いる鉢。猪野沢焼・・・東根市猪野沢で焼かれた焼物。1804(文化元)~1818(文政元)年に、仙台の堤で修行した土赤五郎吉・喜右衛門らにより始まった。小山田理兵衛を窯主として1910(明治43)年頃まで続いた。
資料番号6A000859
資料名豆つぶし
資料名よみまめつぶし
法量 {cm}長さ 34.0 幅 11.2 径 5.2
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明打ち豆(大豆を潰して乾燥させた冬場の保存食)の加工用具。
資料番号6A000860
資料名鰹節削り
資料名よみかつおぶしけずり
法量 {cm}縦 21.0 横 10.5 高さ 10.7
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明乾燥した鰹を刃にあてて薄く削り、鰹節を得るための道具。
資料番号6A000861
資料名ワッフル焼き器
資料名よみわっふるやきき
法量 {cm}縦 16.5 横 17.8 高さ 5.7
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明格子状の凹凸のついた型を2枚合わせて、ワッフルを焼く器具。
資料番号6A000862
資料名卵ツト
資料名よみたまごつと
法量 {cm}長さ 42.0 幅 6.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明わらなどを束ね、中に卵を入れて包みとしたもの。
資料番号6A000863
資料名ス(竹編み筒)
資料名よみす たけあみつつ
法量 {cm}高さ 55.5 径 27.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明醤油のもろみ搾りに使用。
資料番号6A000864
資料名すまし桶
資料名よみすましおけ
法量 {cm}高さ 90.0 径 46.0
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明酒の席で使用した杯を洗う桶。
資料番号6A000865
資料名もろみ棒
資料名よみもろみぼう
法量 {cm}縦 9.5 横 14.5 長さ 173.5
コレクション名
年代 和暦
年代 西暦
資料説明仕込みや発行を促進させるため、もろみをかき混ぜる道具。
第6次公開校正用